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渋谷のんべえ横町〔酒処えのき〕物語 ・その2
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渋谷センター街を背に、待ち合わせ場所で有名なハチ公前の沢山の人だかりを通り抜けてさらに進むと、 のんべえ横町がある – そこはファションの先端を行くかつての東京の中心に行き着く。
渋谷は変化している。 最近の街の再開発プロジェクトは、新しい、 より目の肥えたお客さんの層をターゲットにしているが、流行のハイブーツを履いたり、 日焼けサロンで肌を焼いた若者、ゲームセンター、ファーストフード店、 不景気の影響で市場に遠ざかっていったシックな専門店を好む客層をも呼び戻そうと努力もしている。
しかしながら、そのような再開発の傾向の中にあって、景気の波や傾向に左右されない街角がある。地上げや、再開発の嵐の中で、半世紀に渡り、生き延びえたのが約40件のお店が集う、渋谷のんべえ横町である。
この横町には決して華やかな飾りや、コンクリートのしゃれた造りのお店はないが、 京都のお茶屋や京文化と比較されるような、失われた日本の姿ではなく、
その国の首都を訪れると過去の栄光を極めた古い時代の代名詞とでもいうべき街角に出会うのである。
バーが密集する歓楽街を誇り高く表現しているかのような堤燈で装飾された横町を歩いていくと、 実に静かな空間が広がっていることに気づくはずである。 横町の外は、ネオン街が広がり、ハチ公前の騒々しい通りとはまるで別世界の空間が存在している。
ここのんべえ横町の約40軒のバーの各々は、 小学校のバレーボールチーム程の人数を向かえるだけの余裕はない程の小さい店ではあるが、 実に社交的な常連客にとって見れば、50年もの間、その店の大きさは問題ではないのである。
このあたりは以前、屋台で人気を評していた一角であり、 のんべえ横町は戦後間もない1949年に始まり、 進駐軍の命令により屋台は禁止された。 日本の第二次世界大戦の敗戦後の廃墟となった日本において、 復興の証であるこの横町は渋谷にて産声を上げたのである。
その結果、のんべえ横町は渋谷駅からも近いこともあり、 疑いの余地無く、東京のサラリーマンから最も支持を得た飲み屋街である。
渋谷の多くの中心街は、高層ビルに囲まれているが、 のんべえ横町は抵抗したのであった。 しかし、横町の基礎構造から言えば、あまりしっかりした構造の土地の上にあるわけではない。 実際、渋谷川の延長線上にあるからだ。さらに言うと、 山の手線の高架下に位置しており、再開発には適さないのだ。
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