チズルママの日記
復興支援
2012年02月15日
今月2日、初めてのJR釜石線ー釜石駅に着いた。駅前の周りを見渡すが、被害の色が見えない
所が釜石港に向かって行くうち、どんどんと建物の変化に『まさか』の言葉しか出ない!
あの日の地震直後!4階のビルの上から海を見ると、湾口防波堤を越える津波が、
またたく間に自宅やお店、町全体が流される姿を見て
『自分が生きてきた70年が全部流されるてしまう』
と、耳をふさぎ、眠れない日々が続いた事など数多くの体験が聞こえる。
港近くに、53年前戦争で夫を失った女性が引く屋台が、市が一掃し
製鉄所沿いの水路にふたをして、約10平方メートルの飲食店『呑ん兵衛横丁』がオープン!
かなりの繁盛だったとか?
その震災前24店舗があったお店が跡形もなく流されたと聞いた我が横丁の組合長が
4月テレビで横丁のニュース見、知人を通して横丁の話を聞くや、電話や手紙で
組合長との連絡をとり、同じ名前を持つ”横丁”を何とか支援をしょうと乗り出し
渋谷横丁全体で昨年義援金を初めた。
復活を目指す組合15名の店主らも、1日も早く、お客様の笑顔が見られるお店と
今年1月20日15店舗が釜石駅に近い2階建てのプレハブにオープン(全体で37店舗入居)
そのお祝いに私も参加させてもらった。
渋谷の横丁と余り変わらない広さだが、店主初めお客様の笑顔がすごく印象に残った。
表の看板の横、ゴミのボックス、テレビ、ライターには、渋谷横丁の支援の文字が
目立った。
今後も支援活動をしながら、姉妹交流の付加価値を深めて行きたい
(月11日は震災の時間2時46分黙祷のサイレンが鳴り響く)
丁度行った日、2時46分サイレンの響く中、亡くなられた人達の黙祷を祈る
所が釜石港に向かって行くうち、どんどんと建物の変化に『まさか』の言葉しか出ない!
あの日の地震直後!4階のビルの上から海を見ると、湾口防波堤を越える津波が、
またたく間に自宅やお店、町全体が流される姿を見て
『自分が生きてきた70年が全部流されるてしまう』
と、耳をふさぎ、眠れない日々が続いた事など数多くの体験が聞こえる。
港近くに、53年前戦争で夫を失った女性が引く屋台が、市が一掃し
製鉄所沿いの水路にふたをして、約10平方メートルの飲食店『呑ん兵衛横丁』がオープン!
かなりの繁盛だったとか?
その震災前24店舗があったお店が跡形もなく流されたと聞いた我が横丁の組合長が
4月テレビで横丁のニュース見、知人を通して横丁の話を聞くや、電話や手紙で
組合長との連絡をとり、同じ名前を持つ”横丁”を何とか支援をしょうと乗り出し
渋谷横丁全体で昨年義援金を初めた。
復活を目指す組合15名の店主らも、1日も早く、お客様の笑顔が見られるお店と
今年1月20日15店舗が釜石駅に近い2階建てのプレハブにオープン(全体で37店舗入居)
そのお祝いに私も参加させてもらった。
渋谷の横丁と余り変わらない広さだが、店主初めお客様の笑顔がすごく印象に残った。
表の看板の横、ゴミのボックス、テレビ、ライターには、渋谷横丁の支援の文字が
目立った。
今後も支援活動をしながら、姉妹交流の付加価値を深めて行きたい
(月11日は震災の時間2時46分黙祷のサイレンが鳴り響く)
丁度行った日、2時46分サイレンの響く中、亡くなられた人達の黙祷を祈る