チズルママの日記
『支援活動』
2013年02月15日
岩手県釜石市に2度目、義援金を持っての支援活動(釜石呑ん兵衛横丁と渋谷のんべい横丁は、
戦後の時代に人々の娯楽の場として立ち上がった横丁、2年前東北大震災の津波で全滅後、
組合長の、1通の手紙を通して、同名からの姉妹交流)へ、足を運ぶ1!
新花巻駅から釜石線に乗りかえ、奥地へ電車は走る!雪に覆われての山を下ると終電の釜石駅
鹿10頭位、列車の音にも気にもせず、線路にゆつくり歩いている姿を、初めて見た。
釜石は細長い町、駅から港へは、車で5分、山に囲まれた町で、その周辺の町が津波で全滅をした。
その駅から右方向へ徒歩5,6分の場所に、仮設で営業されている『呑ん兵衛横丁』
看板の字が目立つ。1,2階合わせて飲食店40店舗が入店
年中無休でお店を開いている女性組合長(70代)『仮設での契約が今後1,2年後、いや 3年後?
新しい場所の移転など不安がいっぱいですよ........』
””何が一番のお役に”と、聞いてみた所、あればあるほどお金です”
何せ”0”からの営業、”東京の横丁さんの支援には只只感謝の気持ちでいっぱいです”と、
涙の一コマ
人々が暖かな場所へ、心から話せ、求めてくる場所(横丁)
お客様の笑顔が嬉しんだ~~!お店を初めて、今年50年目,
昨年旦那が亡くなっんだが~とても良い旦那だったよな~(笑)
東北の人々の温かな心と、我慢強い性格、頭が下がります。
戦後の時代に人々の娯楽の場として立ち上がった横丁、2年前東北大震災の津波で全滅後、
組合長の、1通の手紙を通して、同名からの姉妹交流)へ、足を運ぶ1!
新花巻駅から釜石線に乗りかえ、奥地へ電車は走る!雪に覆われての山を下ると終電の釜石駅
鹿10頭位、列車の音にも気にもせず、線路にゆつくり歩いている姿を、初めて見た。
釜石は細長い町、駅から港へは、車で5分、山に囲まれた町で、その周辺の町が津波で全滅をした。
その駅から右方向へ徒歩5,6分の場所に、仮設で営業されている『呑ん兵衛横丁』
看板の字が目立つ。1,2階合わせて飲食店40店舗が入店
年中無休でお店を開いている女性組合長(70代)『仮設での契約が今後1,2年後、いや 3年後?
新しい場所の移転など不安がいっぱいですよ........』
””何が一番のお役に”と、聞いてみた所、あればあるほどお金です”
何せ”0”からの営業、”東京の横丁さんの支援には只只感謝の気持ちでいっぱいです”と、
涙の一コマ
人々が暖かな場所へ、心から話せ、求めてくる場所(横丁)
お客様の笑顔が嬉しんだ~~!お店を初めて、今年50年目,
昨年旦那が亡くなっんだが~とても良い旦那だったよな~(笑)
東北の人々の温かな心と、我慢強い性格、頭が下がります。